神様はいるのか、いないのか

恩師

私は、基本的に宗教観は無いので、神様いるのか?という問いに対しては、そんなもんおらんやろ。という立場を取ってきました。

というのも、むかーし、じいちゃんが生きていたころ、法事か何かで坊さんが説法をしてくれた時の記憶が影響していると思います。


ほぼ覚えてないのですが、お坊さんは極楽浄土の話を説き、死んでも天国に行けますように、的な話をしていたと思います。うちの宗教は浄土真宗なのですが、色々と話して頂いた時、正直小学生ぐらいだったので何を言っていたのかもわかりませんでした。
が、まぁ大人たちがほうほう、と聞いていたので、まぁこういうものなのか、と思っていました(小さい頃のお坊さんの話なんてそんなもんですよね。)。
説法も終わり、うちの母親が用意したお茶をお坊さんが口元に運び、(小学生にとっては退屈な時間が)そろそろ終わりが近づいたかなと思った頃、うちのじいちゃんから、絶対今言ってはいけない言葉が出てきました。


「お坊さま、そんなこと言うても、結局神様なんでおらんでしょ」

当然、場は凍り付きました。あまりに凍り付いたのか、その先の記憶はありません。
お坊さんが今まさに飲もうと口に運ぼうとしている湯飲みが、ぴたりと止まったことだけは覚えています。
じいちゃん、今やったらもうそれはカスタマーハラスメントと言われてるよ。。。
その後は家にくるお坊さんが変わったようにも思います。。。

そんなこんなで、法事・葬式はするけど、別に神様を信じているわけでもなく、でも当たり前のように法事・葬式はする、という感じでした。

それから数十年経った今、私がとても仲良くしていた大学の恩師が脳腫瘍でなくなってしまいました。享年55歳。亡くなるにはとても若かったです。
とても悲しい。私の人生を変えてくれた先生でした。どれだけお礼を伝えても伝わり切らないです。

この時、念仏を唱えてくれたお坊さんの説法が良かった。
まず、「亡くなった方が生きていた時のことを “生前、先生はXXXでした” と言いますよね。この “生前” と言うのは、ちょっと変ですよね。漢字としては、生前は”生きる前”。実はこれ、一度現世で亡くなったら、極楽浄土で新しく生まれ変わると信じられています。そこで、極楽浄土で生まれる前のことを ”生前 “と言うのです。生まれ変わる前で”生前”なんですね。」
確かに聞いてみればおかしなことばですが、なるほど、と納得しました。

さらに、生前、先生と親交もあったお坊さんは続けます。「先生は脳腫瘍でした。自身の死期も知った上で、一生懸命生きてきた。
もし、死後の世界を信じないのであれば、もっと頑張って。もっと生きて。というような声掛けになる。
死後の世界を信じるからこそ、”よく頑張ったね。”、”ゆっくりしてね。”という声掛けができる。どちらが良いかは個人次第。私は、ゆっくりしてね。という声掛けをしたい。」
という自分の思いも載せたコメントだったことが、非常に心にしみました。

私は、先生のご遺体を前にして、心のそこから「ありがとうございまいした。」という呼びかけをしていました。これは、知らず知らずの内に、死後の世界を前提とした考え方になっていることも、自分自身の発見でした。
どうか、先生、天国に行っても安らかに。

カスハラするうちのじいちゃんも、このお坊さんの説法なら納得していたのではないでしょうか。

先生、今まで本当にありがとうございました。合掌。

コメント

タイトルとURLをコピーしました